「卒業旅行」騒動記




 皆さんは、「卒業旅行」(1993年)公開後勃発した「織田裕二バッシング」を覚えているだろうか?私もおぼろげながらでは あるが記憶に残っている。キーワードは「生意気」「ベンツ」「わがまま」といったもので、これをきっかけにして最近まで、私の 中の織田裕二像は「かっこいいんだけど性格の悪いお兄ちゃん」でかたまってしまった。

 しかし、織田総研を立ち上げるにあたって、「織田ちゃんの事は何でも知りたいし調べたい」という欲求が高まり、われわれの 調査の手はこの騒動の顛末にまで及んだのだった。実は、所長も副所長も詳しい事情をまったく知らなかったのだ。

 だが、調査中に遭遇した様々な出来事は、こちらの予想を遥かに上回るものであった。その調査結果と、総研的「卒業旅行騒動記」考察 を以下に紹介していこう。


<騒動のきっかけ>
 まず、「卒業旅行」後、どのような形で織田バッシングが起こったかを説明しよう。

 発端は、金子修介監督の手記、「卒業旅行ニホンからきました演出ノート―にっちもさっちもどーにもブルドッグ!」であった。これは「シナリオ」 (日本シナリオ作家協会、1993年10月号)に掲載されたもので、この記事を元に様々な媒体が織田批判を始めたのだった。それにしても すごい題名だな、これ(笑)

 今となってはテレビ関連の記録を集めるのはほぼ不可能だが、雑誌系媒体の動きを振り返ることはそんなに難しくはない。私の 調べた限りでは、「女性セブン」や「女性自身」など、いわゆる女性ゴシップ誌の食いつきが一番良かった。私も最初は「女性セブン」 の記事を読んで、そこで金子監督の手記の存在を知ったくらいなのだ。

 今、様々な記事に触れてみて思うのは、確かに発端は「シナリオ」内の金子監督の手記ではあっても、われわれにインプットされた 織田像を作り上げた中心になったものは、女性誌のように思える。その女性誌の記事を中心に、ワイドショーや新聞などもいっせいに織田 バッシングをしたのではないか―そのように推測する。

 そのように考えるのには、もちろん根拠がある。それは、他ならない「シナリオ」内の金子監督の手記そのものである。これをきちん と読めば、一連の織田バッシングに疑問を投げかけたくなるのは必至だ。ということで、以下、金子監督の「演出ノート」に対する 考察につなげたい。


<金子修介「演出ノート」を斬る>
1 シナリオを巡るごたごた
 彼の手記を読んでまず目に付くのが、映画のシナリオに関するスタッフ間でのコミュニケーション不足だ。概略を説明しよう。
 「卒業旅行」のシナリオは一色伸幸氏が担当した。最初シナリオにダメだしをしたのは、何を隠そう織田と事務所社長の永田氏であった。 その不満の最大原因は、「オトコの成長物語として不足だ」ということだった。一色氏的には「バカ誕生」をもくろむシナリオであり、 金子監督的には「バカ誕生を男の成長物語として演じればおもしろいシナリオ」という考えがあったので、それらの方向性を合体させシナリオに直しを 加えた。それでも織田や永田氏の反応が鈍く、プロデューサーが長時間織田を説得した上で、さらに金子氏がシナリオに改定を加え、 それを撮影決定稿としロケ地で配ったのだった。しかし、そこで一色氏の気分が害されてしまった。このシナリオが 一色氏の目を通さないままに決定稿となってしまったことで、彼から「撮影稿が不本意なので著作権を引き上げました。映画は製作 中止になりますからどうもお疲れ様でした」という連絡が入ったのだ。それがクランクイン前日のことである。結局、撮影稿に一色氏が 直しを加えたものが決定稿としてクランクイン後にスタッフや俳優に配られることで事なきを得たわけだが、クランクインする前に シナリオのことだけでこれだけの紆余曲折があって、よく映画公開にもっていけたと妙に感心した。

 そして、このシナリオを巡るごたごただけでも、いくつか問題にしたい点が浮かび上がってくる。まず、織田側に文句を言うとすれば、 やっぱり「文句つけ過ぎ」ということになるだろうか。脚本に興味がもてなかったり、衣装がどうのといったり、まあよくある 話なんだろうけど、その文句のつけ方とか、ダメ出しのしかたとか、ダメなら何がどうダメでどうしてほしいのかはっきり言えとか、 そういう基本的なところで織田側に足りないことがあったというのは否定できない。織田のキャリア的に言えば、「振り返れば奴がいる」 のすぐ後だ。彼自身言っているように、「振り奴」で初めて演技プランを含め自分で色々考えて作品に望むという姿勢を貫いたわけで、 年齢的にも若かった。まだまだその程度の織田に、何がどうダメか、どうしてほしいか、なぜそう思うのかなど、理路整然と 監督やスタッフに説明できる能力があったとも思えない。そういう織田のいたらなさは絶対にあったのだと思う。

 では、金子監督側はどうだろう。総研的には、彼の監督としての技量や責任感に非常に疑問を持っている。というのも、まずこの手記の 冒頭は、一色氏から電話で著作権取り下げの連絡をもらうところから始まるのだが、それに対する金子氏の反応をまとめると、「あ、そう」 と電話を切ってそのまま寝て、クランクインしても、脚本家がこういうことをするのは珍しいなあ、と感心するばかりだったというものだ。 本人曰く、「中止」という言葉に麻痺してしまって、危機感を実感することができなかったからだ、というのだが、これは監督として どうだろう?こういうときに奔走してこそ監督ではないのか?しかも、その取下げの原因は、一色氏の承諾も得ずに決定稿を出した 自分にあるのではないか・・・?それをわびもせずに主演俳優のこき下ろしを延々4ページにもわたって書けるものだろうか? 第一、監督自身の無責任さと独断でクランクインからシナリオに揺れ動きが出てきてしまったら、その現場は不信感と不安に満ちるので ないだろうか・・・?もうこの時点で私は監督として失格だろうと思ったくらいだ。

 とにかく、このシナリオ騒動を見ただけでも、織田だけが非難されるのはおかしいと感じていただけると思う。


2 糾弾の焦点
 ところで、この騒動は何度も言うが「織田バッシング」を引き出したものであり、結果織田一人が悪者になった。まあ、彼にもいたらない ところは絶対にあったと総研的にも思っているので、文句言われたりこき下ろされたりするのは別に構わない。だが、それが少々 とばっちり的要素がからまってくるとこちらも黙ってはいられない。

 なぜこんなことを言い出すかというと、金子氏の手記に非常にあいまいな表現が含まれているのだ。それは、文句つけるときに「織田」 と言っていたり「織田側」と言っていたりするのだ。これはどういうことだろう?

 「織田側」の所業として記されているものを挙げてみよう。ファーストステージ(笑)で「ペッパー警部」を歌うか歌わないか、と いうこと。最初は女の歌だから歌いたくないと言ったかと思うと、女装して歌うならいいといったり、織田「側」と監督側の歌に対する 思惑の隔たりが大きかったと述べている。(その前に、織田ちゃんに女装で歌わせるなんておもしろいアイディアを反故にした時点で 監督失格という噂も無きにしも非ずなのだが:爆笑)次に、衣装。70年代アイドル風のデザイン画が気に食わなかったらしく、織田 「側」の拒否に遭ったらしい。その拒絶反応振りが非協力的態度として映ってしまって、スタッフがショックを受けたと言うのだ。 しかし、最初織田「側」が拒否反応を出したあと、金子氏が織田に直接「衣装に関しては君の意見も入れた上、最終的にはこちらに 任せて欲しい」と言ったときに彼は快諾しているのだ。織田一人の行動としては、矛盾していないだろうか・・・?さらに、ベンツとホテル 待遇問題。ベンツでの送り迎えと現地での最高級ホテルを要求し提示したのは、「織田側」と「プロデューサー側」なのだ。最後、 スタッフ変更を条件に出演を続行すると言い出したもの織田「側」である。

 これらの記述は何を示しているだろう?「織田」といった場合、これはもう完全に織田一人を指す。しかし、「織田側」と言った 場合に様々なニュアンスが含められる。織田本人が中心となった一団、織田の関わってない一団(事務所など)、または段階的に 織田が半分くらい関わってるとか、あんまり関わってはいないけど含まれるとか、とにかくどうとでも取れる。でも、それを 「織田側」と、織田を中心にくくることで、織田本人だけの責任・仕業かのように印象付けられる。金子氏が意図的にこのような書き方を してるかしてないかは知らないが、結局このあいまいな表現で書かれたことの中に、織田バッシングの根幹になっているものがいくつか 含まれている(ベンツ・ホテル問題と、スタッフ交換問題)ことを考えると、彼がこのようなあいまいな表現を使った波紋は大きい。

 織田がなんかやらかしたんなら、それに文句つけるのは別に構わない。しかし、織田のほかにも糾弾されるべき人間がいるのに、それを ひとくくりにして全て織田一人の責任であるかのように見える表現をしているのは迂闊過ぎやしないだろうか? もしかしたらこの表現に関する考察は深読みなのかもしれない。しかし、記事にある「織田」「織田側」と表現されて いるもの全てを織田一人の行動だと考えると、織田が分裂気質の狂人にしか見えてこないのも事実なのだ。


3 監督に求められるものとは
 次に追求したいのは、金子監督の怠慢や、認識の甘さだ。

 この手記を読んで端々から感じられるのが、金子監督が、自分のところに寄せられた意見に対して、十分な話し合いをするなり、 対処をするなりして、奔走した形跡が見られないということだ。最初に行動を取るのはいつも織田(側)だ。例えば、最初のエピソードは、織田から 「メシでも食いませんか。僕はこの脚本に興味がないんですよ。」という電話がかかってきた、というものだ。この言い方もすごい ものがあるし、本当にこのまんまのせりふで言ったとしたらやな奴である。とにかく、こう言われて監督は、今まで散々説明してきたし 予定もあったから断っている。まあ、ここまではわからなくもない。結局織田は仕事で翌日海外へ行くわけなのだが、このエピソードに さらに「監督の仕事の責任範囲からすれば、本来なら『じゃあ辞めれば』というべきだと思うが、それが撮影中止を引き起こすと思うと 言いたくても言えなかった」と付け加えているのだ。これはどうだろう?私は監督の仕事の責任範囲として、織田のほうから脚本について 話したいと言われたのだったら、それこそ中止にしないためにもいくらか話し合ったほうが良かったのでは、と思うのだが。織田だって、 やる気がなければメシにまで誘って興味がない旨いちいち伝えることなんかはしないはずである。何か、打開策を見出したくて誘った のではないだろうか?確かに織田の言い方は非常にまずいが、私には監督がせっかくの機会をみすみす見逃したというふうにも見えるのだ。

 さらに、織田への文句が続く。「初めてのコメディにやる気を見せていた。が、どうも言葉の端々から、笑いものになるという覚悟が 読み取れなかった」「ふっきれた演技が必要だったので、織田のこの話への乗りの悪さは非常に心配だった」「外国から帰ってきた織田の 反応は鈍かった。鈍いどころか、本当に出演する気があるのだろうか、と思われてならなかった。」「改稿されたものを、更にどうして 欲しいのか、具体的な意見は出てこなかった。彼らは漠然と、脚本がよくないから出演する必然性が見当たらない、と繰り返すのみで あった。」「彼には自分から『降りる』と言う度胸はない。降ろして欲しいのだ、と僕は感じざるを得なかったが、それを証明する 術は、今となってはすでに何処にもない。」これもはっきり言ってどっちもどっちじゃないだろうか?織田または織田側が、はっきりとした 主張もしないまま文句ばかり言い続けるのは、さすがに考え物だ。そんなことされたら感じ悪い以外の何者でもないし、じゃあやめろよ と言いたくなる気持ちはわかる。しかし、そこで監督がただ「心配だった」「感じざるを得なかった」「思われた」「読み取れなかった」なんて心象だけで 物事を済ませていていいのだろうか?こんだけ問題点が見られるなら、なぜそこで問題提起して、徹底的に話し合わなかったのだろうか。 少なくとも彼の手記からは、彼が織田(側)に見られる問題点を切り込んで、解消しようとした跡は見られない。全てが終わった あとに、自分の印象だけをつづり、「証明する術のない」織田の思惑を披露してしまうことは監督の仕事の責任範囲で ありうるだろうか?私は違うと思う。

 金子監督はこの「心証」をプロデューサーに話し、結局長時間にわたってそのプロデューサーが織田を説得したらしい。そこに外国から数十分、監督も 加わったらしいがプロデューサーのおかげで織田がふっきれて「僕がばかになればいいんですね」という言葉を出してきたというのだ。 しかし・・・金子監督は一体それまで何をやっていたのだろう?プロデューサーが出てくるというのは本当に最終段階だと聞いている。しかし、 織田から引き出したい言葉や決心がその「僕がばかになればいいんですね」というものであれば、プロデューサーを引き合いに出すまでもなく、 時間的にもテクニック的にも立場的にも、金子監督がしなくてはいけない仕事だったのではないか?なぜ最初に「コメディで笑いものに なる覚悟が感じられない」と思った時点で説明しなかったのだろう?それが監督の仕事の責任範囲というものでなはいだろうか。

 その後、花火を使った撮影を巡るごたごたで織田は撮影ボイコットに出てしまう。かなり大人気ない。しかし、その時になって初めて 金子監督は必死の説得を試み、手紙まで書いて直接話し合いと申し出ている。織田の答えは、プロデューサーに「監督との話し合いはもう 終わっている」と言ったのみだ。しかし、この織田の言葉も、ある意味私には理解できるものだ。脚本のことなどではほとんど話し合いは してもらえず、ようやっとプロデューサーのおかげでやる気になったと思ったら監督の独断でシナリオが揺れる。撮影中も何回か トラブルがあり、それでも必死こいてやってたら深刻な花火事故。そういう最終的な、もうやばいぞ、という局面になって初めて監督が 出てきても、信用できるだろうか?それまでずっと放っておかれた監督と話し合って、それがうまくいくと思える だろうか?

 確かに、ボイコットはいけない。結局、関係ない人までまきこむのだから、自己満足にしかならず、何も変わらない。 でも、金子監督ももう遅すぎた。確実に、彼は織田の信用を失っているし、失うに値する事をしてきたと思う。それは、彼自身が 述べた監督としての仕事の責任範囲をしてこなかったことに他ならないと思うのだ。

 さらに、一色氏から著作権とりさげの連絡をもらった時も、クランクイン直前になっての織田からのシナリオに対する不満・不安に 対して「現場でも直せる」と言ったときも、スケジュールの調整のつけ方にしても、どうにも認識が甘く、独り善がりな考え方を持って いるようにしか思えないときがある。その点も批判されても仕方ないのではないだろうか。撮影に入る前に散々主演俳優から「石を 投げられ」ているのにも関わらず、それにきちんと向き合わなかった危機感のなさと怠慢さは問題視してもいいと思う。


4 最後の大事件
 上に述べたように、最後の最後になって、花火の事故が起こってしまう。もう一つ大きい事件としては、スタッフ交換事件というもの がある。しかし、この二つに関しては織田側から唯一発せられたと思われる事情説明コメントが残っている。

 まず、事件の内容から説明しよう。花火のほうは、映画のクライマックス、一発太郎引退コンサートの場面に起こった。花火の事故で 織田が髪を焦がし、その謝罪が不十分ということでキレ、「降りる」と言い出したのだ。そのつながりで、織田側がスポンサー側に スタッフ変更を条件に出演を続けると申し出ていたというものなのだ。これに関して金子監督は、「権力を利用して人を切るという 卑劣な行為で、人間として許せない一線を超えられてしまった」と評している。

 しかし、冒頭に出てきた「女性セブン」には事務所側の説明が載っている。まず、花火に関しては、織田だけでなく、タイ人の エキストラにも花火の粉が直接かかるので、タイだからやりたい放題OKということではなく、日本の消防法と同じようにきちんと やってほしいと事務所側からクレームをつけた、と言っている。スタッフに関しても、変更したり切ったりという事実はなく、応援 部隊が新たに加わって、二部隊になっただけだ、と言っている。これも事務所による手配だ。さらに、織田的には今回のことで同じ土俵に上がってあれこれ言うのは 釈明っぽくなっていやだから、これから仕事する人たちに、自分はそんな(手記に書かれているような)人物ではないとわかっていって もらえればいいと思っていると事務所からコメントが発表されている。

 さて、皆さんはどちらを信用するだろう?


5 最後に
 金子監督は最後、映画に関わった人々に向かって「若い俳優一人コントロールできなかった僕の非力を、誌面を借りて、お詫びしたい」 と締めくくっている。結果から言うが、こんな私情垂れ流しの手記を専門誌に載せていいのか?全文を読んでいただければわかるが、 プロットも理論もまったくない、ただの感情の赴くままの手記である。その最後が、スタッフへの非力をわびる謝罪文である。謝罪 するなら、自分の責任能力のなさ、仕事の遂行能力のなさではなかろうか?

 さらに不可解極まりないのが、最近金子監督自信が、この手記の行き過ぎを認めるコメントを出していること。(詳しい事情を 知っている方がいらっしゃったら、ぜひ情報をお寄せください)自分の言動に対する責任というものはないのだろうか?正直 言って、呆れた。この事実を知ったとき、私は上記第4章で述べた事件の顛末に関して、事務所側のコメントを信じることにした。

 結局、金子監督のしたことは誌面の私物化にすぎない。織田に至らない部分は多々あっただろうし、相性の善し悪しだってあるだろう。 しかし、手記を読む限りにおいては、織田が批判されるなら、同じくらい金子監督も批判されてしかりだ。総研的に織田を救済しよう などという目論見はまったくもってない。しかし、あの手記のおかげで織田ばかりが責められるのだとしたら、それは間違っている、と 声を大にして主張したい。


<この手記に携わって―所長の個人的感想>
 正直言って、初めて金子監督の手記を読んで驚いた。「こんなもんが雑誌に載っていいのかー?しかもこれをまともにとりあうやつが いるのかーーー?」というものだった。調査に出る前は「まーったく、織田ちゃん若気の至りで何わがままやらかしたんだよ、天狗に なってたかおいー?」くらいの気持ちでにやにやしていたのだが、その予想を遥かに上回る大パンチだった。織田ちゃんに関わっていると 何事も予想を遥かに上まわってしまうのだが、今回のはさすがにすごかった。

 まず、手記の内容のひどさ。映画監督ともあろう人が、あそこまで感情的に、非理論的に文章を綴るものなのかという衝撃。さらに、 それに飛びついて面白おかしくゴシップにしてしまう女性誌の貪欲さ。そして、その情報を鵜呑みにしていた自分の若さに対する苛立ち。 そのような感情が一気に押し寄せてきたのだ。そして、思ったのが「この騒動は間違ってる」ということ。具体的に言えば、責められる なら、織田ちゃんだけでなくて、監督やスタッフ側も責められるべきだということなのだ。まあ、この論文を書くにあたって何が一番痛かった って織田ちゃんがわからの情報がまったくといっていいほどなかったってので、そういう状況で、監督のとっちらかった手記と、信用 できない女性誌を頼りになるべく客観的に書きたてるのは非常に難しかったのだが・・・。

 それにしても、あの金子監督の手記を読んで、金子監督に一言物申す良識ある業界人はいなかったのであろうか?それが私には不思議 でならないし、なんか寒いものを感じるのだ。

 ただ、何度も言うけど織田ちゃんだってガキ。あの頃の織田ちゃんは、記憶を頼りに再構成してみると、すごく口下手だし、必要な 愛想もふりまかないし、ぶっきらぼうだった。言いたいことはストレートに言うから生意気で感じ悪く聞こえることもたくさんあるし、 しかもあの強面(サル君ともいうのだが)。とにかく、今の彼が持っているソフトな印象はまったくなかったのだ。それでコミュニケーション がうまく取れるわけでもないし、今でこそ「あの」織田裕二だけど、当時はまだただのちょっとした若手俳優の一人。そんな織田ちゃんが、 何かを訴えようとしてもなかなか伝わらなかったし伝えられなかったのはめちゃくちゃよくわかる気がする。世の中みんなが若松さん なわけじゃないんだし。撮影ボイコットまでしちゃったら、もうレベル的には中高生。それだけはかばえません、私も。(かばうつもり なんか最初から毛頭ないけど)

 また、事情通の話によると、あの映画のごたごたはもともとスタッフ間で起こったもので、最初それをなんとかしようとしていた織田 ちゃんがとばっちりを食って、全部なすりつけられたものだとも言われる。さらに、織田ちゃん本人がインタビューにおいて「腐った現場 は、本当は自分で何とかしなくてはいけないし、それが自分の責任だったんだけど」と、あくまでも現場が悪いという発言をした。 どちらも100%真正面から捉えていい話ではないが、興味深いものではある。

 ただ、一つ「へええ」と思うのが、事務所を通じてだしたコメント。「これから共演するスタッフにわかってもらえればいい」という 一言が、実はけっこう現実になっているという事実。実際、今織田裕二と言えばみんなが一緒に仕事をしたがる業界内人気者らしい。 (ちなみに俳優さんは含めない。あくまでもスタッフだけ:爆笑)亀山元Pも「織田君と打ち合わせ〜♪」ってうきうきしながらハワイに 飛んでったというくらいの人になってしまった。あの事件をきっかけに性格改善に努めたのか(笑)それとももともとそういう素質の ある人なのか私にはうかがい知る術もないが、あの逆風を振り切ってここまでになったのはちょっとすごいかな、と思っている。

 なので、そろそろとんでもない織田バッシングが起こって、もがく織田ちゃんをもう一回見たいなどと鬼畜なことを思っている次第。 迷惑なファンである。


<追補―資料追跡記>
 さて、この論文を書くにあたって欠かせなかったのは資料集めである。映像関連ははなから諦め、 雑誌資料に焦点を当てていた私は、まず東京都世田谷区の大宅文庫へ出かけていった。その時はどんな記事が存在しているのかも わかっておらず、適当に検索してればなにかぶち当たるだろう、くらいの軽い気持ちで行った。

 大宅文庫でまずコンピューター検索をすると、「織田裕二」で296件も引っかかってしまった。さ、さすが。しかし、求めるものは 1993年の秋というのはわかっているので、まずはそこだけ重点的に見ていく。(でも実際は他の検索結果もくまなく見て、おもしろそう なのは請求して読んできた。もちろん、コピってきた。)すると、「卒業旅行」という単語が目立つようになってきて、どんぴしゃの 記事が見つかった。「女性セブン」と「女性自身」・・・ふふふ、これでOKだ、ということで資料請求。

 やってきた資料を見てみると、「女性自身」は記事も短いしたいしたことは書いてなかったのだが、「女性セブン」がなかなか 突っ込んで、誌面を割いて書いている。いいんじゃなーい、これ〜なんて読んでいると、どうやら監督自身の手記が「シナリオ」という 雑誌に載ってるというじゃないか!なんだよ、それ読ませろよ!ということでもう一回検索かけると、どうやら大宅文庫には「シナリオ」 は所蔵されていないということが判明した。

 ということで、「女性セブン」と昔の「JUNON」(これまたおばかな内容)などをコピって、かなり満足して帰路に着く。
 そんなこんなを副所長にメールをする。で、次は国会図書館に行くことにする。

 永田町の国会図書館は新館と本館があって、雑誌は新館。すぐさまコンピューター検索すると、目当ての記事が出てきた!!さっそく請求書を 書いてカウンターにもっていくが、待つこと1時間。すでに即日複写の受付は終わっており、後日受け渡し複写の受付もあと5分!! これは読んでる暇ないな、と大急ぎでカウンターに行き、複写請求書を埋めていき、さあ、しおりをはさむぞーーー!と10月号の 目次を開き、よっしゃ、82ページーーーー!!!なんて思ったら・・・ない・・・ないんですよ、奥様ああ!82ページから85ページの 演出ノートが、ごっそりと!!あるのは延々続く「卒業旅行」の台本そのもの。そんなもんは要らない、とりあえず金子監督の手記! と思ってしつこく10月号をねめまわすが、何にもない。でも、目次にはちゃんと載っている。もちろんもう複写受付なんて時間切れ。 もしかしていたずらで誰か切ったんだろうか、と製本(シナリオは3か月分ずつ製本されて保管されている)を確かめるが、きれいな 綴じしろだった。一体何が起こっているんだろう・・・。

 なんかよくわからないまま本を戻し、色々考えてみる。まず、閲覧者のいたずら。でも、綴じしろの美しさを見るとそれは考え られない。次、図書館の差し金。でも、図書館がなぜわざわざあの記事を削除するのかまったく理由がない。次、出版社の差し金。 これはありうる。これが一番可能性が高い。だとすると、誰の意図だ?この考えに至った時、私は静かに怒りはじめた。

 当然、帰って副所長に怒りのメール。やはり、彼女も納得行かない様子なので、私は後日改めて広尾の東京都立中央図書館へ赴き、 そこの「シナリオ」を資料請求してみたのであった。

 出てきた「シナリオ」はやはり3ヶ月で一冊分の製本。もちろん、国会図書館とは製本カバーの色もその方法も違う。あまり期待 せずに10月号の82ページを開くと・・・あるではないか!!!私たちの捜し求めていたものが!!もう、すごい勢いで複写を申し込み、 普段は絶対にしない請求書の見直しまでしてカウンターに提出したのであった。

 さて、この一連の資料追求活動で遭遇した「国会図書館所蔵『シナリオ』記事削除事件」(おおげさ)はどのように解釈すべき だろう?

 おそらく、出版社の意図が働いているものと思われる。しかし、出版もとの日本シナリオ作家協会の独自の判断なのか、金子氏が 申し入れして協会が動いたものなのか、それとも織田の事務所が動いてそのような運びになったのかはわからない。それに、なぜ 国会図書館の記事だけ削除されているのだろう?搬入形態の違いなんだろうか。しかし、いったん 出版された雑誌の記事を削除した上で図書館に収めるというような無責任な行動が許されていいのだろうか?今、所長名義で国会 図書館へのweb上の意見フォームからどのような理由で記事が抜けているのかを問い合わせている。 ということで、後日改めて図書館に出向き、現物を見せて話を聞いてこようとかとも思っている。その返答次第では、日本シナリオ作家協会へ メールしてみようかと考えている。その顛末は、後日またレポートするつもりだ。


<その後の騒動記-2000.10.04>
 この記事が掲載されてもうずいぶん経つ。その間に、なんと国会図書館からこちらの質問に対する答えが帰ってきた。
 質問の主旨は、国会図書館所蔵の『シナリオ』93年10月号に明らかに抜けがある、一体どういう経緯で抜けたのか教えて いただきたい、というものだった。もちろんこんなぶっきらぼうに聞きはしなかったが、はっきり言って答えは返ってこないんじゃ ないかなあ、と思っていた。お役所だしさ・・・なんて。しかし、相当時間はかかったものの、最初はなんとわざわざ電話で、そして私が 不在と知るとメールで調査の詳細を報告してくれたのだ。どうやら、お国の本を一手に預かる(笑)立場として相当恐縮がっていたらしい。

 これはもう感激モノである。こんなハスに構えた小娘のクレーム(?)を逐一調べてくれて、それを律儀にも連絡してくれた。さすが 本気出して仕事するとすごい。

 で、その結果報告だが、若干納得がいかないものとなっている。しかし、そこまで色々調べてくれた国会図書館には非常に感謝して いる。この記事の第一稿で「まともな返答も返ってこない」と書いてしまったことを深く反省し、謝罪したい。

 国会図書館は、まず他利用者の切り取りではないことは断言でき、おそらく、元々あった落丁ではないかと推測できる、と 考えている。それでも記事検索に該当記事が含まれているのは、記事検索用に使った本と製本した本が別だからということだ。これは 図書館の製本作業では常識のようで、製本用のほかに副本と呼ばれる予備みたいなものが用意されるんだそうな。おそらく、この 2冊のうちの落丁のあるほうが製本に回されて(外観がきれいだというような理由で)しまったのだろう、ということなのだ。その 副本は今、建設中の「国会図書館関西館」用の資料用として箱詰めされているらしく、すぐには確認できないが調査中とのことだ。 これもびっくり。そんな見つけにくいものをわざわざ調査してくれているなんて・・・まあ図書館としては当然なことなのかもしれないが 頭が下がる思いだ。なので、この関西館用の『シナリオ』が落丁ナシのものであるかがわかるまでは、上記は推測の域を出ないものだ と図書館の方でも明記している。

 しかし、注目したいのが『シナリオ』の発行元であるシナリオ作家協会では93年10月号の在庫があるということで、図書館は取替えを 承諾してもらったという報告だ。出版元が取替えを承諾したということは、その在庫には落丁がない、ということになる。では、 あの落丁は本当に偶然の事故、ということなのだろうか・・・?それにしては都合のよすぎる、そしてハマりすぎた落丁ではないだろうか。

 今の段階で、出版社に何らかの意図があったのではないかという推測は可能性としてはずいぶん低くなった。しかし、まだ調査の手を 緩めるつもりはない。最終手段として、作家協会のほうにバックナンバーの購入を依頼したいと思っている。もしかしたら一般のバック ナンバー購入希望には応えてもらえないかもしれないが、少しでも疑いは晴らしたいというのが研究者根性というもの。もうしばらく 私の粘着気質にお付き合いしていただきたいものである。

 迷惑なおねーちゃんだこと、本当に(笑)


<参考資料>
「卒業旅行 ニホンからきました 演出ノート」(『シナリオ』、日本シナリオ作家協会発行、1993年10月、82―85頁)
『女性セブン』(小学館、1993年9月23日、46―48頁)
「日曜のヒーロー」(日刊スポーツ)